『社会をつくる「物語」の力:学者と作家の創造的対話』、木村草太、新城カズマ共著、光文社新書、2018年。

おどろきました。

副題に「創造的対話」という語が提示されており、そうはいっても、ふつう結局「羊頭狗肉(ようとう・くにく)」、題名に裏切られる場合がほとんどでしょう。

ところが、上掲書では本当に創造的な対話がおこなわれたのです。

木村氏(1980年生まれ)は法学者。

新城氏(1951年生まれ)はライトノベル作家。

別世界に生きるおふたりが、主として法律を背景にしながら「世相」「ゲーム」「民主主義」「トランプ大統領や彼の支持者たち」「SF」などを語り合われました。

どんな風に創造的な対話であったか、例をあげます。

以下は「読書と民主主義」章でのやりとりです。

木村  現に本を読む文化は、いま、危機的状況なわけですよね。
新城  昔に比べて、少なくとも読み方は変わっているし、読むものも変わっているし、読まれている量もおそらく変わっていますよね。(pp.167)

ここまでは、まあ、一般的な意見交換だといえます。

その意見がつぎのように変化してゆきました。

新城  「本を読む文化が危うい」という話で、ふっと思ったんですけども、リベラルデモクラシーというのは印刷物なしで、ネットだけで維持できるんですかね。検索とリンクだけで。
木村  難しいと思いますね。
リベラルデモクラシーを運用するには、リベラルな憲法の価値をある程度理解できる人がそれなりの人数だけ存在する必要がある。つまり、かなりの読解力を持つ人たちが、一定程度の訓練を積むということが前提になります。(pp.169)

話題はますます進み、ひねりも加えられだして、

新城  いまのブラウザの設計思想、たとえばツイッターやらSNSやらの設計では、ある程度長い文章を読解するという能力自体が損なわれる、もしくは育たないということですか?
木村  育たないんじゃないですかね。
新城  それを育てるような形に、設計し直せばなんとかなるんでしょうか。
木村  ただ、それはとても難しいと思います。まず質の高い文章を載せるには、優秀な編集者がいて、著者が言ったことについてきちんと裏取りをしたり、校閲したりという作業が必要です。(中略)
新城  グーグルとかが、最近ようやくファクトチェックみたいな機能を付け加えてはいます。ただ、それを付けた結果、グーグルの売上が増えるのか減るのかって考えると、下手すると減るかもしれないわけですよね。少なくとも利益は減るような気がする。
木村  そこは、ある種ぎりぎりのグーグルの公共精神みたいなものだと思いますけど。
新城  そうですよね。もうそうなると、グーグルとフェイスブックとツイッターとか何とかの上のほうの人、判子押す人の公共心に全人類の運命が懸かっていると言えなくもない。
それも考えてみるとすごいことですね。リベラルデモクラシーを100年やった結果が、「3人の賢者が世界の運命を決めていく」という、どっかのファンタジー小説のようなことにいまの世の中はなっとるという。(pp.170)

と、なりました。

それだけでは収まりません。

新城  いまの話を伺ってちょっと思い出したのが、ブラッドベリの名作SF『華氏451度』なんです。世間的には、あの作品は「本が禁止された世界」を描いたものだと理解されている。(中略)禁止するまでもなく本が廃棄されていく世界、それはもう既に来ているのではないか、現実のいまこれが既にそうなのではないかという気が、ちょっとしていまして。(pp.175)

自由な読書が禁じられた架空の暗黒社会(民主的ではない社会)と活字離れが起こって久しい現代社会とのあいだに実質的な違いはないのではないか、というご指摘でした。

意表をつかれるご指摘です。

引用のあとも、さらにひねりが付加されました。

こうして両者は(「読書と民主主義」に限らず)各テーマからどこまでも話を発展させてゆかれます。

新城氏が奇想を思いついて話題を発展させる役、木村氏が法律を参照しながらのまとめ役でした。

刺激とヒントに満ちた、非常におもしろい対談になりました。

楽しい読書のひとときを提供していただいた気もちです。

唯一の問題点は、新城氏が発表した『蓬莱学園』シリーズおよびJ・R・R・トールキン著『指輪物語』が、対談の基礎教養として横たわっていたことです。

わたしはどちらの作品も未読であるため、語られている内容の細部を理解するのに苦労しました。

金原俊輔