『新版 孤独が男を変える』、里中李生著、フォレスト出版、2019年。

一般的に「良い」と見なされていない体験や事象であっても、それらが結果的に良い体験・事象に転化することはめずらしくありません。

別のいいかたをすれば、いかなる負の体験・事象でも何かしらポジティブな側面をもっているものです。

そんな視座による助言が書かれているのではないか、だとしたら自分の生活にもカウンセラーとしての仕事にも役立つだろう、わたしはこう考え、上掲書を読みました。

本のなかは、

「友情論」を少し語ると、男の友情を美化する輩が多すぎる。気持ち悪い。(中略)
ただ、私は、
「無理に親友や仲間を作りたいと思うのが滑稽(こっけい)だ」
と言っているのである。(pp.19)

ほかの例をあげれば、

不倫をした女性には家庭での事情があるだろうし、「どんな事情があっても不倫はだめ」は暴論と言える。
DVを受けて、そこから逃れるために別の人とセックスをした。「それでも不倫はだめ」では、何も考えないことを道徳とする、マニュアル主義と言える。(pp.169)

以上のような発言に満ちていました。

常識だの社会通念だのにとらわれず里中氏(1965年生まれ)の信念から搾(しぼ)りだされた言葉の羅列です。

迫力がありました。

しかし、わたしは「どれもムキになって語るほどの問題ではないだろう」と思いました。

氏はさして重要ではない問題を取りあげては自信たっぷりに所信開陳しておられる気がしたのです。

たいして引き込まれませんでした。

つい、むかし読んだものの感銘を受けなかったため本コラムであつかわなかった、

榎本博明著『薄っぺらいのに自信満々な人』、日経プレミアシリーズ(2015年)

を想起してしまいました。

そのうえ、どうやら著者には一定数の「アンチ」がいるみたいで、それらの人々を念頭に置き書いたと想像される箇所が多いとも感じられます。

「里中李生の本は極論ばかりだ」
と言う人間もそう。知性が欠損している。
私は誰も言わない社会問題の答えを出している者だ。それを見て単純に、善か悪かでしか語れず、「里中李生の本は極論」でしか揶揄(やゆ)できない。
仮にも本を何十冊も書き、累計270万部近くを売っている物書きが、「極論」の一言で片づけられることはないはずで、結局、それしか言えない人間は、繰り返すが知性がないのである。(pp.199)

閉ざされたコミュニティにおける口喧嘩を読まされた気分になりました。

全体をとおして「走り書き」っぽい雰囲気も漂っています。

残念です。

わたしは否定的な感想を述べてきました。

かといって、すべてを否定するつもりはありません。

「なるほど」「たしかに」と唸らせられる文章が点在してはいます。

「才能がある人間」とは、自主的に自分を変える力を持っている。「〇〇さんに言われたからやります」という人間には才能はあまりない。(pp.29)

きっとそうなのでしょう。

ネット社会に群れずに、一人になる、または親しい人とだけでいる時間をいっぱい作るのが賢明である。
フェイスブックを1週間、放置しなさい。ツイッターもやめなさい。
それだけで少し利口になった自分に気づくだろう。(pp.49)

この有益なアドバイスに共鳴いたします。

金原俊輔