『総理の女』、福田和也著、新潮新書、2019年。

伊藤博文(1841~1909)から東條英機(1884~1948)にいたるまで、内閣総理大臣たちの夫婦関係および愛人関係を説き明かした読物です。

語られた総理は全10名。

ほとんどの人が「蓄妾」(往年の日本にはこういう状況・言葉がありました)をしており、しかも複数のお妾さんをもっていた人物すらいて、当節の読者としては「ひどい時代だった」の感を禁じ得ません。

そのうち、山本権兵衛(1852~1933)と妻・登喜子とのあいだで生じた温かいエピソードは、まるで一服の清涼剤であるかのようでした。

登喜子がいよいよ危なくなったとき、権兵衛も摂護腺肥大症で病に伏していたのだが、椅子に腰かけたまま、登喜子のいる2階にあげてもらい、妻の手を取ると、しみじみ語りかけた。
「お互い苦労してきたが、俺としては今日まで何一つ曲がったことをした覚えはない。お前もその点、安心して逝ってくれ。いずれ俺も、あとを追ってゆくから」
登喜子はぽろぽろと涙を流して、夫の手を握り返したという。
一度は自分の部屋に戻った権兵衛だったが、夜半に再び妻の部屋を訪れ、それから間もなく登喜子は息を引き取った。
「霊柩車が出るとき、俺の寝ているところから見えるようにしてくれ」と権兵衛が言うので、子供たちはその通りにし、登喜子は夫に見守られながら、長年住んだ家を後にしたのだった。
その8か月後、権兵衛は81歳で逝った。(pp.74)

書き写しつつ、改めて目頭が熱くなってきました。

2番目の話題へ進みます。

原敬(1856~1921)の妻だった貞子は、

ヒステリーの発作を起こすようになった。原が公務から疲れて帰ってきても、労わり身の回りの世話をしてくれる妻はおらず、泣き叫ぶ幼児のような貞子をおぶって庭をぐるぐる歩き回らなければならなかったという。(pp.130)

貞子はいつまでたっても14、5歳の娘のような生活ぶりで、家事は使用人に任せ、家計の切り盛りなども全く関心を持たなかった。(pp.132)

彼女はヒステリーではなく、発達障害さらに躁うつ病を有していたのではないか、と想像されます。

平民宰相も令夫人もつらかったことでしょう。

3番目。

犬養毅(1855~1932)の章において、とつぜん蒋介石(1887~1975)が登場してきました。

大の台湾ファンである(その結果、蒋を嫌う)わたしには、おどろきの出現でした。

日本で書生として経済的に苦労なさっていた模様です。

以上、本書は、紹介される逸話がどれも興味ぶかく、意外性を備え、読み甲斐がある一冊でした。

たとえば「明治の元勲は大抵みなマザコンである(pp.49)」といった、鋭い指摘にも満ちています。

教科書ではありませんから体系的でなかったとはいえ、日本近代史、折々のリーダーらの活躍、日本と世界の相互関係、などが頭に入りました。

金原俊輔