『中世奇人列伝』、今谷明著、草思社文庫、2019年。

わたしにとっての草思社は「渋い本ばかり発行するハイレベルな出版社」。

高校時代に買って読んだ、

アリシア・ベイ=ローレル著『地球の上に生きる』、草思社(1972年)

以来、長いおつきあいです。

今回の『中世奇人列伝』、主として鎌倉時代と室町時代に活動・暗躍した6名の人物を紹介した史伝でした。

6名は「遠い過去に埋もれた存在」とまではいかないものの、日本史の教科書に載るほどの有名どころではなく、わたし自身、初めて目にする名前ばかりです。

こうした面々の人生に、北条政子(1157~1225)、楠木正成(1294?~1336)、足利尊氏(1305~1358)、足利義政(1436~1490)、日野富子(1440~1496)、といった教科書常連メンバーが、横からチラチラ関わってきました。

執筆されたのは日本中世史の権威・今谷氏(1942年生まれ)。

お若いころより研究に勤しんでこられるなかで「本筋からはずれた人々に思い入れが向かう(pp.8)」ご経験をされ、現役を退かれる際に「そうした『主流はずれ』の人物論をテーマにすえる(pp.9)」学術的な読物を、満を持して上梓されたのです。

おもしろくないはずがありません。

わたしは6名がどのように生きたかを知り得て本意でした。

さて、むかし実在した人たちの話を読むときの楽しみのひとつは、彼ら・彼女らの考えかたおよび行動様式が、その後の日本や現時点の日本に通じている部分がある、と発見することでしょう。

本書においてもそれがあまたありました。

具体例をひとつ書きます。

以下で述べる逸話は「雪村友梅(1290年-1346年):中国で辛苦した傑僧」の章に記されていました。

中国で仏教を学んでいた日本人・雪村友梅は、急に不安定になった日中関係のせいで、かの国の官憲により斬首されることとなりました。

刑場において、友梅は中国の祖元という高僧がつくった詩を辞世の句のかわりに堂々と吟じ、

このいさぎよい態度と気魄(きはく)に、さすがの刑吏も気圧(けお)されたのか、処刑はついに延期となった。(pp.102)

こうした一幕を生じさせました。

ところが、これが人口に膾炙(かいしゃ)した結果、中国ではその詩が「臨剣頌(りんけんじゅ)」と呼ばれだし、「友梅の作」と喧伝されるようになってしまったのです。

ここまでが前段。

そして10年後、中国で学んでいた別の日本人僧が知り合いの中国人僧・霊石と話をしていた折に、霊石は「臨剣頌は友梅の作だ(pp.103)」と言いだしました。

日本人僧は、これを、

さえぎって、正直に祖元の作だと訂正したところ、霊石から「お前は、お前の国の人の名誉を全うさせようとしないのか」と叱責されたことが伝わっている。(pp.103)

とのこと。

たとえ先人の名誉を傷つけるとしても、あるいは誰かに叱責されるような事態にいたるとしても、現在だって一定数の日本人が「間違いが広まるよりは良い」と考え、この種の正直さに価値を見出すのではないでしょうか。

中世における日本人の美意識の萌芽が窺えます。

以前、わが国のテレビ・バラエティ番組の「ラーメン特集」で、当該番組に出演したラーメン関係者諸氏が「ラーメンの原形は中国にある」と述べ、その事実をインターネットで知った中国のネット民たちが「日本人はラーメンの起源を主張したりしない、中華料理に敬意を表してくれている」と感激したエピソードを想起しました。

これで書評を終了します。

終了の前に、わたしは読書中ちょっとしたことを感じたので、つけ加えさせていただきます。

この『中世奇人列伝』に接していると、全編、政変・裏切り・戦(いくさ)・闘乱・極貧・孤児・飢餓・餓死・早世……の描写だらけでした。

著者の引用を孫引きすれば、

老婦人がいた。子を抱きかかえ、名を呼んでいるのだが、子は答えない。ついに婦人は声を放って泣きだした。私が近寄ってのぞくと、子はすでに死んでいた。母は慟哭(どうこく)して道路につっぷした。通りかかった人が婦人に「どこの国から来られたか」と問うた。婦人が答えて、「河内(かわち)から参りました。流民でございます。(中略)乞食いたしておりますが、それでもこの子に満足に食わせてやれないのでございます。食をもとめて奔走いたしましたが、とうとうこんなことになってしまいました」。(pp.179)

胸が痛みます。

平成や令和の日本を「高ストレス社会」と評する論者がおられるみたいですが、むしろ、昨今は史上最もストレスが低い時代のひとつなのではないか、と思いました。

金原俊輔