最近読んだ本700:『沈黙のファイル:「瀬島龍三」とは何だったのか』、共同通信社社会部 編、朝日文庫、2025年
瀬島龍三(1911~2007)とは、どのような人物であったか?
陸軍大学校を卒業したのち、第二次世界大戦の当初は大日本帝国陸軍参謀本部に所属、やがて満州の関東軍へ転出しました。
敗戦後、約11年間、シベリアで抑留生活。
1956年に帰還し、伊藤忠商事入社、最終的には同社の取締役会長にまで登り詰めています。
さて、わたしがもともと思い描いていた瀬島像は、ごく大雑把でした。
本書が「全国の地方紙(P. 425)」で連載されていたとき、それを読んだ文芸評論家の加藤典洋(1948~2019)は、
「(前略)結局この人は戦前は国家、戦後は一転伊藤忠に忠誠を誓い、戦後の賠償を商売の機会にした。なぜああ堂々としていられるのか。驚きですね」(P. 297)
こう述べたそうですが、これこそ、わたしの中にあった瀬島の人間像です。
瀬島龍三を主人公にした評伝を読んだことはなかったものの、過去に接してきた種々の書籍内で彼の為人(ひととなり)が上のごとく語られ、当方、それを無条件に受け入れていたのでしょう。
そして今回、『沈黙のファイル』を手にした際、わたしは瀬島への認識が変化することを期待していました。
結論を申しますと、まったく変わりませんでした。
書かれていた彼の情報はわたしが抱いていた人間像を裏打ちするものばかりだったのです。
おまけに「瀬島も多くの事実を語らないことにより、歴史を歪曲したり、隠蔽したりしてきた(P. 445)」由で、彼に対する印象は一層悪化しました……。
ところで、本書において、第二次世界大戦前後の日本(とりわけ陸軍)の動きがくわしく描述されています。
たとえば、
1945年夏、自ら命を絶った軍人・軍属は568人に上った。(P. 114)
戦争敗北にともない、これほど多数のかたがたが自決なさったという事実を、わたしは初めて知りました。
哀悼の意を表します。
あるいは、原子爆弾の件。
敗戦直後、朝枝繁春中佐(1912~2000)がソ連軍司令部へ赴き、チタレンコという名の通訳に、
「米国は日本に3個投下した。広島に1つ、長崎に2つだ。うち1つが爆発しなかった」
チタレンコが興味をそそられ「その不発弾はどうしたのか」と聞くと(後略)。(P. 167)
不発弾というのは間違いで、実は「高層気象観測装置ラジオゾンデ(P. 171)」だったそうですが、いずれにせよ長崎にて原爆の不発弾騒ぎがあったというのは初耳でした。
歴史の知識が深まるノンフィクションです。
非常に残念だったのは「関東軍防疫給水部(通称731部隊)(P. 130)」の話題。
鬼畜にも劣る所業を成した日本人関係者たちがインタビューで当時の状況を語り、わたしはその話のむごさのため『沈黙のファイル』のページを繰りつづける意欲が弱まりました(「731部隊」に関する記録を読むと毎回そうなります)。
また、彼らが猛省の念や加害者意識を示さず他人事のように回顧している様子に、激しい憤りをおぼえました。
金原俊輔