最近読んだ本380
『評伝 開高健:生きた、書いた、ぶつかった!』、小玉武著、ちくま文庫、2020年。
数年前、わたしは開高健(1930~1989)に関する本を読み、「最近読んだ本」書評で感想を述べました。
ですが、実のところ、これまで一冊たりとも彼の作品に目をとおしたことはありません。
青年時代に「開高健はサントリー社で活躍しているコピーライター、釣りが好きな作家」なる単純素朴なイメージをもっていただけでした。
上掲書を読了し、氏がかなりの文学者だった事実を知りました。
とりわけ、
海外ルポルタージュは、開高にノンフィクション作家としての優れたセンスが備わっていることを、少なからぬ読者に知らしめた。(pp.217)
古くより好んでノンフィクション書誌を手に取っていたわたしにしてみれば、迂闊(うかつ)でした。
後悔プラス猛省いたします……。
さて、「開高健」という主題は、著者(1938年生まれ)にとってライフワークである模様です。
ご自身がサントリーへ入社されたことをきっかけに、開高の謦咳に接し、以降ずっと彼を慕い、長らく交友を維持されました。
開高没後も、故人がらみの文献を複数出版されています。
『評伝 開高健』は、きっと、いままでのお仕事の総決算的な位置づけとなるものなのでしょう。
おびただしい情報量(人口に膾炙していなかった情報も含め)の伝記でした。
出生と幼少期、学歴、結婚、就職、知名度の高まり、ベトナム戦争取材、釣り体験記のヒット、文壇における人間関係、お嬢さん、食道癌と肺炎、58歳での逝去、ご遺族……といった本人に係る話題が網羅されています。
かならずしも頗(すこぶ)る幸福とはいえなかった彼の人生を、しっかりたどることができました。
存命中、開高が最も輝いたであろう時季は、サントリー(往時の商号は「寿屋」)に所属するかたわら小説執筆に励み、とうとう「芥川賞」を受賞した、1958年(昭和33年)ではなかったでしょうか。
受賞が発表されるや、当然、取材陣は杉並の開高の家に取って返し、まだ田園風景を残していたあたりは大騒ぎになった。
サラリーマン作家が、じつは寿屋宣伝部のコピーライターであることがわかり、世間の好奇心を刺激した。(pp.158)
1964年、ベトナムへ出張ったころも「34歳、円熟期(pp.213)」に差しかかっていました。
円熟へと向かう途次ながら、同国では生命を失いかねない窮地に立ちます。
昭和40年2月14日の従軍取材では命を落としかけた。もっとも危険な地帯といわれるDゾーンにある「ベン・キャット基地」から出撃した大隊の作戦に同行して、ベトコンの奇襲攻撃を受け、九死に一生を得るような体験を重ねる。(pp.236)
この取材には本邦の文人諸家のあいだで賛否両論が沸き起こったそうです。
彼は日本にて病気で不帰の客となりました。
ところで、開高の結婚生活は全然落ち着いておらず、配偶者だった詩人の牧羊子(1923~2000)は「『悪女』だの『悪妻』だの(pp.99)」と酷評されてきています。
しかし、彼を弔う葬儀の際に、
司馬遼太郎も弔辞で『珠玉』のヒロインを「開高にとって永遠の女性である」牧羊子になぞらえているが、告別式場に現に参列している牧に対する、世慣れた大人の関西人らしい思いやりの言葉ということもあろう(後略)。(pp.438)
司馬遼太郎(1923~1996)が奥様に投げかけた温かい慮りでした。
わたしは開高の一生を「かならずしも頗る幸福とはいえなかった」とまとめたものの、司馬といい、本書の著者といい、他の関係者たちといい、周囲の仲間には恵まれていたと見なせるようです。
最後に蛇足。
さきほど、会社のパソコンで文章を作成しつつ「べトコン」と入力したのですが、自動変換しませんでした。
もはや死語になっており、おそらく若い世代は知らない言葉なのでしょう。
「ベトナム・コンサン」の略で、意味は「南ベトナム解放民族戦線」です。
金原俊輔