最近読んだ本165

『日本人はなぜ存在するか』、與那覇潤著、集英社文庫、2018年。

知的な刺激をたっぷり与えてくれた本でした。

「再帰性」という言葉を軸にしながら、日本史、日本国籍、日本文化、などを深遠に考察したものです。

再帰性とは、

認識と現実のあいだでループ現象が生じることを、社会学の用語で「再帰性(さいきせい、reflexivity)」と言います。それを最初にわかりやすいかたちで示したのは、ロバート・K・マートンというアメリカの社会学者でした。(pp.30)

たとえば「日本人は集団主義的だ」という言説が存在するときに、ひとりひとりの日本人が(本来は個人主義的である面々も含めて)言説に沿い集団主義的なふるまいをしだす、その結果、外国人が「やっぱり日本人は集団主義なんだ」と考え、言説は正しいこととなる、このような現象です。

心理学の「自己成就予言」に似た概念といえるでしょう。

こういう本筋の話もよかったのですが、わたしは読書中、著者(1979年生まれ)のふとした一行や一文から、あれを考え、これが閃き、を繰り返しました。

現代の世界で「解決困難な問題」と呼ばれるものは、すべてこのかたちをしています。たとえば、環境問題。私たちは工業化の進展に伴って、大量の二酸化炭素ガスを大気中に放出し、それによって地球の気温を上げてしまうことすら可能になった(と、いうふうに、認識されています)。だとすると、私たちはいかなる環境の下でこれから暮らしていくのかを、私たち自身の手で選ばなくてはいけません。(pp.167)

上記文章に触れた際には、環境問題は学習心理学でいう「遅延強化、遅延罰」が関与する問題であるだろうと、しばらく(格好をつけていえば)思索にふけりました。

西洋近代が再帰的に作り出してきた正義や人間のイメージ(その中にはしばしば、第6章で見たようなオリエンタリズムさえ含まれていました)が、私たちの実態と大いに食い違っていることが明らかになってきたいまでは、こういった東洋風の選択肢が魅力的に映ることもありますね。(pp.179)

ここを読んで想起したのは『新約聖書』です。

聖書には「汝の敵を愛せ」「隣人を愛せ」「明日のことを思い煩うなかれ」といった「人の心の中」に干渉するアドバイスが頻出します。

おそらくキリスト教国の国民(つまり西洋人)は多大な影響を受けてきているでしょう。

臨床心理学では、人間が心の中でなにを発想してもかまわない、「敵を憎む」「隣人を嫌う」「明日について思い煩う」などというのは自然に生じる心理現象であり、当人がコントロールする必要はない、と断じます。

ある種の欧米人たちにとって臨床心理学は(東洋風が魅力的に映るのと同じく)魅力的に映っているのかもしれません。

こうした感想を抱きました。

いっぽう、本書にかぎらず、知識人が著した書物にしばしば見られる傾向なのですが、『日本人は~』でも、こじつけや深読みにちかい叙述が少なくありませんでした。

ニュース番組などでは、しばしば国家が擬人化されて語られていますよね。地球温暖化に関する「アメリカの意向は……」とか、北朝鮮の非核化をめぐる「中国の本音は……」とか。(中略)しかしそこでいう「アメリカ」は、あくまでも擬人化された国家だという点で、一種の比喩にすぎない(第3章)。そういう自覚をもって、ふだんニュースを見ている人は、あまり多くないと思います。(pp.202)

わたしたちは「アメリカの上院はこういう意向で、下院の意向はこうだった。前の大統領の意向はある程度反映され、しかし、もちろん現大統領の意向が最優先された。それを口八丁の報道官が周知のように発表した。発表原稿を執筆したのは、おそらく、まだ場数を踏んでいない若手の担当者だろう。世論調査をしたら過半数が賛成すると予測できる」などと語るのが面倒くさくて、「アメリカの意向は~」といっているのです。

その自覚をまったく有していない人は、むしろ少数派のはず(とりわけ與那覇氏の読者たちのあいだでは)。

つぎに、82ページ「ウルトラマンも、正体を隠しながら生きる『マイノリティ』」の項において、「ウルトラマン・シリーズ」脚本家の金城哲夫(1938~1976)が沖縄ご出身であったことから、

ウルトラマンは自分の正体を隊員どうしのあいだでも隠し、人目につかないところで、ひとりひっそりと変身するのです。(中略)ウルトラマンには「沖縄」という、アイデンティティのはざまで悩むマイノリティの姿が仮託されていました。(pp.83)

そうかもしれないものの、スーパーマンだってスパイダーマンだって、月光仮面だってタイガーマスクだって、大なり小なり自分たちの正体を隠しています。

これは、アイデンティティの問題以上に、たんに正体を隠さなければ主人公が日常生活をおくりづらいからではないでしょうか。

ついでにいえば、著者は上掲書の冒頭で「見る人がいなくても夕焼けは赤いのか?」という有名な問いかけを紹介されているわけですが、『ウルトラマン』の番組は、往年「最高視聴率40パーセント台という、熱狂的な支持(pp.84)」を得ながら、おそらくほとんどの子どもがウルトラマンと沖縄とを重ね合わせてはいなかったと想像され、その場合には金城の思いはどうなるのか、との論及もなさってみるべきでした。

本書をけなしているのではありません。

ふだん、ものごとを考えないわたしが、頭を多様に使った一冊になりました。

與那覇氏という新しい才能の登場を感じています。

金原俊輔

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