最近読んだ本360
『うつ病九段:プロ棋士が将棋を失くした一年間』、先崎学著、文春文庫、2020年。
知人が上掲書を高く評価していたので興味をおぼえ、わたしも読みました。
たしかに佳作でした。
うつ病の「苦しさ」「治りにくさ」「治るまでの行きつ戻りつ」といった特徴が、生々しく詳細に語られています。
わたしはカウンセラーだからというよりも、約40年前にうつ病だった元・患者として、共感しつつページを繰りました。
なつかしい症状があれこれ記され、そのうちのひとつ、
なんでもいいから頭の中の重しを取りたかった。
重しといっても、入院前や直後に感じた頭の中にコールタールが詰まっている感じではなく、どこまでも深い霧が覆っているようだった。(pp.62)
かつて当方は「ずっと脳に鍋が覆いかぶさっているみたいだ」と表現していました。
コールタール、霧、得心がいくたとえです。
プロ棋士で九段の著者(1970年生まれ)。
『うつ病九段』は、うつ病を患って快癒するまでの約1年間を、病状報告だけでなく、将棋力亡失、棋士に復帰できるのかどうかの焦り、他のプロ棋士らへの羨望・嫉妬、などをも交えてお書きになった、赤裸々な「当事者手記(pp.174)」でした。
描写が真に迫っているため、現在、うつ病または抑うつ状態であるかたが目をとおすのは、すこしきついかもしれません。
いっぽう、
「部下が休みつづけている」
「部下が訴える『うつ』の症状が分らない」
「社員が復職したのに、すぐ再度の休職に至ってしまった」
と、頭をかかえる管理職者が参照し病気理解を深めるのには、うってつけと思われます。
うつ病のお身内がおられるご家族も知っておくべき内容でした。
さて、著者は病中、うつ病に関する専門書を何冊か読まれたのち、
どの本にもうつになりやすい人間の性質として〇〇気質、のようなものがあげられているが、これもよくわからなかった。(pp.66)
旨を述べられました。
解説させてください。
一般に、性格とうつ病にはつながりがある、こう考えられています。
複数の異なった性格がうつ病につながり得ると想定されているのですが、ここでは「メランコリー親和型」を紹介します。
メランコリー親和型。
「うつ病になる前の性格、うつ病になりやすい性格」というような意味で、「几帳面」「秩序を重視」「他者に配慮」的な人柄の持ち主を指しています。
上記3つを、先崎氏に当てはめてみましょう。
まず「几帳面」ですが、
不戦敗だけは嫌だった。30年前に棋士になって、千局以上指して、不戦敗は1局もなく、これは私にとって誇りであった。その歴史を途絶えさせることは容易に受け入れられなかった。(pp.19)
知らない人を相手に過ごし、きっとぎこちなかっただろうが一応は挨拶をしてまわり、はなしをして、まったく至らなかったかもしれないが、プロ棋士として精一杯サービスできたのだ。(pp.115)
該当する文章が見つかりました。
つづいて「秩序重視」。
輝かしい将棋界、先輩たちがきずき上げたこの世界を終らせるわけにはいかないという強い責任感が芽ばえた。(pp.9)
若干近い感じです。
最後に「他者への配慮」は、
佐藤君には私しか味方がいない時期があった。私は信頼のおける後輩の人間たちに頼ろうと思ったが、熟慮の末、決してそれをしなかった。(中略)
彼らを傷つけるようなことはとてもできなかった。(pp.9)
研究会仲間である中村太地君も誘おうと思ったのだが、彼は王座戦の最中でうつの私の顔をみると悪影響があるのではと思って遠慮した。(pp.75)
翌日は将棋の練習日だった。キャンセルも考えたが、若い人が3人来る日だったので悪い気がした。(pp.137)
ぴったり来る記述が散見されます。
どうやら氏はメランコリー親和型タイプでいらっしゃる模様でした。
つまり、先崎九段はうつ病になっても不思議ではなかった、かもしれない……。
几帳面、秩序重視、自分より他者のことを配慮、すべて長所なのですが、うつ病へと追い込まれがちな悩ましい側面も有しているわけです。
むろん例外はつきもので、うつ病だったわたし自身に、こんな素晴らしい傾向は見当たりません。
金原俊輔