最近読んだ本571:『職場のメンタルヘルス・マネジメント:産業医が教える考え方と実践』、川村孝 著、ちくま新書、2023年

こんな種類の本の執筆は容易ではないでしょう。

なぜかといえば、専門家(本書の場合、産業医・保健師・産業カウンセラーのかたがた)あるいは現場ご担当者(総務部・人事部・安全衛生委員会のかたがた)が知らないような話を書くと、一般の人たちには難解になってしまう、いっぽう、一般の人に分りやすいようなことを書くと、当たり前すぎて専門家や現場担当者は手に取ろうとしなくなってしまう、からです。

わたしは、一般読者はたぶん職場のメンタルヘルスへの関心が薄いはず、なので上掲書は専門家・現場担当者を念頭に著された学術的内容だろう、そうした予想をし、ページを繰りました。

すると、読みやすいうえ、勤労者がわずらいがちな精神疾患、最新の精神医学研究結果、産業界が知悉しておくべき判例、なども詳述されていて、諸々の読者層に有益な作品。

なかでも第1章「勤務は契約」が興味深く、川村氏(1954年生まれ)は妥当な主張をなさっていると感じました。

さて、わたしの専門は行動療法および認知行動療法なのですが、

認知行動療法は(中略)心が動揺する状況に直面したとき、自分がいつも陥る認知の癖(自動思考、決めつけ)が、取り得る認知の範囲の中でどのような位置にあるかを冷静かつ客観的に捉え、バランスの取れたものの見方に移行させるものです。
生じたストレスを上手に処理する「ストレス・コーピング」、伝えるべきことを恐れずしっかり伝える「アサーション」など、対人関係やコミュニケーションのスキルを訓練し(ソーシャル・スキル・トレーニング、SST)、心身の疲労からの回復を促進する「リラクゼーション」も学んでもらいます。(pp.144)

簡にして要を得たご説明です。

医師が書物で認知行動療法を解説するとき、えてして引用文の前段のみを語る嫌いがあり、それだと認知行動療法ではなく認知療法の紹介になってしまいます。

川村氏は陥穽に嵌(はま)りませんでした。

別の件。

有給休暇は理由の如何(いかん)を問わず自由に取得できる性質のもの(後略)。(pp.129)

従業員は好きなときに有給休暇を取得できます(時季指定権)。(pp.132)

おっしゃるとおり!

世の中には、『労働基準法』第39条、労働者の「年次有給休暇」取得権利、を知らない(または、知っていても無視する)使用者だの管理職者だのが多すぎます。

都道府県労働局は、管内全事業所の全役職者・全従業員に通達か何かで改めて理解を喚起し脅しをかけ、従業員の有休自由取得を促進させる必要があるのではないでしょうか?

以上、良い本だったものの、ひとつ異論が……。

川村氏は現行のストレスチェック制度について、

毎年、従業員全員にやらなくてはならないものとは思えません。(中略)一年を通して「必要な人」に「必要なとき」にやればよいのです。(pp.172)

持説を開陳なさいました。

当方、ストレスチェックの意義は(従業員の個人結果が出ることと同じぐらい)全体結果さらに部署単位の集団分析結果が出ること、こう受け止めています。

全体結果と集団分析結果は年に数回出してもかまわないほど大事な数値、ぜひ事業所や各部署や全従業員で共有してほしい情報、とも思っています。

正確な全体結果・集団分析結果を得るためには、すくなくとも年に1回、できるだけ多数の従業員にストレスチェックを受検してもらう必要があって、わたしは左記の理由により氏の説を支持いたしません。

金原俊輔