最近読んだ本404
『大学はどこまで「公平」であるべきか:一発試験依存の罪』、橘木俊詔著、中公新書ラクレ、2021年。
著者の橘木氏(1943年生まれ)は、わが国がこれまで実施してきた大学入試の方法を「一発試験依存(pp.16)」とお呼びになり、あまり評価なさっていません。
日本で論じられる単純な「公平さ」が、高等教育や研究の精度をより高め、また世界の大学から巣立つエリートたちと伍する学生を育てる、といった意味で本当に適切なのか、疑問を覚えるのは筆者だけだろうか。(pp.55)
お気もちは分ります。
しかし、もし入学試験が一発試験でなくなった場合、こんどは一発試験が得意な受験生たちに不利が生じるでしょう。
それはそれで何らかの社会的沈滞につながってしまうのではないでしょうか。
わたしには、
和田秀樹著『受験勉強は子どもを救う:最新の医学が解き明かす「勉強」の効用』、河出書房新社(1996年)
完全に異論のない理想的な受験のシステムは現実的にありえないので、考えられる範囲で最善に近いものを選ぶという妥協が必要だろうということと、もう一つさらに大事なことは、よしんばベストに近い選別システムを作ることができても、それだけでその人の一生を決めてしまうシステムにしてはいけないことだ。(和田書、pp.157)
こちらの見解のほうが当を得ているように感じられます。
本書『大学はどこまで~』は、一発試験への異議にかぎらず、橘木氏が示される種々の問題意識になかなか随従できなかったうえ、氏のおもな訴えは奈辺にあるのかも把握しづらい内容でした。
要するに、どの国家とて大学受験に工夫をこらし、ところが結局いかなる工夫にも欠点が入り込んでいるわけで、うまくいかない、だとすれば、日本だって無駄な努力をせず、現行のままで良いのではないか?
読者に前述の読後感を抱かせるのは橘木氏がめざすところではなかったでしょうが、わたしはそうした思いに至ってしまったのです。
博引旁証(はくいんぼうしょう)の中身だったわりに、学びが少ない読書となりました……。
話題を変え、以下、心理学者として差し出口を挟(はさ)みます。
東京大学在校生の家庭環境について調べた「2018年学生生活実態調査の結果」では、その世帯年収について「950万円以上」が60.8%にまで達し、メディアを通じて話題になっていたのは記憶に新しいところだ。(中略)
東京大学合格者を輩出した家の多くが、日本の平均世帯年収よりずっと高い所得である、ということは言えるだろう。(pp.64)
引用した件について、「家計が豊か(pp.63)」なおかげで、子どもは「普段から塾に通ったり、家庭教師についてもらったりする(pp.63)」という環境に身を置くことができ、それが東京大学への合格に結実する、豊かではない家庭の子と比べ「不公平(pp.64)」だ、と受け止められがちです。
著者も同様みたいでした(たとえば62ページ)。
けれども、
1 東京大学に合格する人たちは「知能」が高いと考えられる
2 一般に、知能は遺伝の影響を強く受ける
3 ということは、東京大学合格者の親ごさんたちの知能も高いのではないか
4 知能が高い親ごさんならば、おそらく年収が高めの職業に就いているはず
5 だから、東京大学生たちの実家の家計は総じて豊かなのである
不公平さを指摘・考察するだけでは十分といえず、こうした蓋然性の伏在も視野に包含しなければならないのです。
著者にかぎりません。
教育学領域のみなさまには心理学が提出してきた知能に関する所見を軽視する傾向が見られ、わたしはそれがずっと気になっていたため、この場を借りて書きました。
金原俊輔