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『エデュケーション:大学は私の人生を変えた』、タラ・ウェストーバー 著、早川書房、2020年。

暗鬱な自伝でした。

あらすじについては、上掲書を訳された村井理子氏が「訳者あとがき」で適切にまとめていらっしゃるので、それを引用させていただきます。

1986年、アイダホ州クリフトンでモルモン教サバイバリストの両親のもと、7人兄姉の末っ子として生まれ育ったタラは、物心ついたときから父親の思想が強く反映された生活を送っていた。両親は科学や医療を否定し、民間療法を妄信し、陰謀史観に基づく偏った思想を盾に政府を目の敵(かたき)にし、子供たちを公立校に通わせなかった。(pp.505)

幼少のころからタラとその兄弟は子供らしい楽しみを奪われた。父親の廃品回収とスクラップの仕事を手伝い、時には強要され、父親の残酷ともいえる指示のもと、命を落としかねない危険な作業をくり返した。実際にタラが負ったけがは深刻で、死に至らなかったことが奇跡にも思える。(pp.506)

父親による家族への抑圧と並行してタラを極限まで追いつめたのは、次男ショーンによる熾烈な暴力だった。(中略)
ショーンは、嫉妬や束縛にも似た歪んだ感情を彼女に抱くと、圧倒的な力でねじ伏せ、支配していく。度重なる激しい暴力によりけがを負わされながらも、ショーンの存在に耐えるタラを目撃しているにもかかわらず、気づかぬふりをする母親。そんな彼女の態度が、ショーンの暴力よりも深くタラを傷つけたことは、想像に難くない。(pp.507)

宗教への盲従と家族の性格異常および心の病気がからみ合った、深刻な虐待でした。

タラには正確な誕生日すらなかったのです。

こうした環境のもとで長じた彼女でしたが、ある時期から一念発起して勉強を始め、ついにはブリガム・ヤング大学へ進学しました。

ブリガム・ヤング大学はモルモン教系の教育機関で、アメリカ合衆国における名門校のひとつです。

最初の学年、西洋芸術史の講義で起こった小事件紹介が、タラの前半生がどれほど変だったかを理解するうえで役立つでしょう。

彼女は「ホロコースト」の意味が分らなかったため、講義中、教授にそのことを質問。

同級生たちはタラが非常識なジョークを言ったと受けとめました。

ずっと地元の公立学校へ行っておらず、不十分かつ偏った家庭教育を受けただけでしたので、彼女は本当に意味を知らなかったのですが。

ホロコーストとは第2次世界大戦のさなか、ナチスドイツがおこなったユダヤ人大量虐殺をさします。

アメリカでホロコーストの語を知らない大学生というのを、わが国でたとえれば、県外から来て広島大学へ入学した1年生が、むかし広島市に原子爆弾が投下された事実を知らなかった、ぐらいの衝撃になります。

たしかにクラスメートは驚いたでしょう。

とはいえ、タラは大学ですぐさま頭角をあらわし、あれよあれよという感じで発展しました。

すばらしい成績をおさめだしたのです。

大学入学以降、彼女は誠実な人々との出会いにも恵まれました。

歴史の先生を訪ね、履修に関する相談をしていたとき、

博士は前のめりになった。たったいま良いアイデアが浮かんだという風だった。「ケンブリッジって聞いたことがあるかい?」
聞いたことがなかった。
「イギリスにある大学のことだ」と彼は言った。(pp.351)

タラはケンブリッジ大学の大学院で修士号さらに博士号を取得。

専門は歴史学です。

2020年より、アメリカの最高学府ハーバード大学大学院にお勤めになりました。

度を超えてひどい逸話がつづいたノンフィクションながら、こうした部分には救いがあります。

また、著者が冷静・客観的にご自分の体験を記述してくださっているおかげで、読者は比較的動揺せずに本書を読みすすめます。

わたしは常々、子ども時代のつらいできごとは世間で信じられているほどには当事者たちへ悪影響をのこさないと訴えており、訴えを裏づける実証データも少なからず所持しています。

『エデュケーション』は、わたしの言動を支持してくれる作品でした。

ただし、タラは抜群に怜悧な人物であって、ご一家7人兄姉のうち彼女自身をふくめ「3人は博士号(pp.487)」を得た件をも鑑みると、知能が高い血筋のかたなので他の当事者だったら持てあましたであろう苦渋に賢明な対処をすることができた、と見るほうが妥当なのかもしれません。

金原俊輔

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