最近読んだ本494:『自己肯定感ハラスメント』、辻秀一 著、フォレスト2545新書、2022年
日本では、人々のさまざまな言動にハラスメントの語をくっつけ、「〇〇ハラ」と略して問題視することが流行中です。
その結果、〇〇ハラと呼ばれる行為が増え、現在いくつの〇〇ハラが存在しているのか、ほとんど把握できなくなってしまいました。
こうした新名称が必要なほど不快・迷惑な場面が多い社会であるのでしたら、言葉が増加するのはやむを得ず、上記はとうぜんの成り行きと思います。
さて『自己肯定感ハラスメント』。
さらなるハラスメントの提唱でした。
自己肯定感は臨床心理学が発案した学術用語ですから、それがハラスメントとして世間の男女を圧迫している場合、わたしとて臨床心理学者の端くれ、自責の念に苛(さいな)まれます。
ですので、本書を読みました。
率直な意見を述べましょう。
こういう論考を展開しようとする際には、論者は自己肯定感および自己肯定感ハラスメントの定義を明確にしたのち、自己肯定感ハラスメントが確(しか)と存在する状況を客観的に示さなければなりません。
定義がないと読者は何に関する文章を読んでいるのか分らず、客観的指標がないと読者は現実を分析している本なのか論者個人の勝手な思いつきが書かれている本なのか見分けにくいためです。
しかるに、辻氏(1961年生まれ)は、書中かなり話を進められたあと、
自身のすべてを受け入れ、肯定することが大事だという発想(pp.72)
と、お書きになっており、おそらくこれが自己肯定感の定義。
自己肯定感ハラスメントの定義や自己肯定感ハラスメントの実際の広がり具合については言及がなく、ないままに著者の「『自己肯定感』がハラスメントを生んでいる(pp.20)」という憂慮が吐露されました。
わたしは説明不十分と考えます。
それにつけても、「自己肯定感への執着(pp.2)」「自己肯定感至上主義の風潮(pp.2)」「自己肯定感の呪い(pp.3)」「自己肯定感の呪縛(pp.6)」「自己肯定感の妄想(pp.20)」、本当にこんな重苦しい事態が蔓延しハラスメント化しているのでしょうか?
つづいて著者は、自己肯定感に代わるものとして「自己存在感(pp.49)」なる認識を勧めていらっしゃるのですが、そちらのほうの定義らしき文言は、
どんな人も自身の内側を見れば、必ず比べる必要のない何かが見つかるはずです。(pp.45)
存在しているだけでさまざまなものを生み出しているということ。それに気づくことだと言えます。(pp.91)
そうすると、自己肯定感の前半部分(というか、基礎部分というか)が自己存在感みたいな感じですので、ふたつのあいだに大した違いはないのでは?
「無理に自分を肯定しなくて良いさ」、こんな助言をすれば済む問題のような気がいたします。
かならずしも流布しているわけではない概念を紹介したうえで警鐘を鳴らし、別の概念を提案する、その概念は最初の概念と完全に異なるものではない……、一種「マッチポンプ」的な議論のもってゆきかたといえるでしょう。
著者は「『ご機嫌の体感』をトップアスリートたちとの対話で経験するという『ごきげん授業』(pp.182)」を主宰なさっている由ですが、わたしは本書を読みながら少々不機嫌な顔になってしまいました。
金原俊輔