最近読んだ本573:『2050年のメディア』、下山進 著、文春文庫、2023年
下山氏(1962年生まれ)はノンフィクション作家です。
上掲書にて「インターネット普及後の、メディアがさらに大きく揺れ動く激動の時代の変容を、読売新聞、日経、ヤフーを主軸に(pp.542)」お書きになりました。
内容を大雑把にまとめれば、紙の新聞はプラットフォーマー(ヤフーやアマゾンみたいにネット上で情報・商品を提供する場)との競争に負けている、日本経済新聞だけが早々に電子版に着目し方向転換を図った結果、敗北を最小限に食い止めている、というもの。
では、新聞はどれくらい負けているか?
読売の場合、2001年に発行部数「1028万部(pp.13)」だったのが、2022年には「686万部(pp.502)」にまで落ち込んでしまった……、とはいえ「読売新聞はそれでも全国紙の中ではましなほう(pp.502)」の由ですので、他の新聞社はもっと苦しんでいることとなります。
事実、
産経新聞は、2期連続の赤字決算、2019年4月入社はわずかに2人。(中略)
毎日新聞は、50歳以上60歳未満の社員を対象に200人規模の早期退職を募集することが明らかになった。(pp.481)
朝日新聞にいたっては(中略)574億円の減収、(中略)300人の希望退職をつのらざるを得ず、多くの社員が辞めていった。(pp.502)
こうした中、
経営で問題のない新聞社は、本書で見てきたように日本経済新聞だけだ。(pp.481)
わたしは20歳代のころ、東京都文京区の日本経済新聞専売店に住み込み、朝刊・夕刊の配達をしていました。
配達自体はきつくなかった反面、集金する際に(同紙をお読みにならない奥様たちがお金を払うため)何やかや文句を言われ、それがイヤで「日経は女性向け・主婦向けの記事を充実させてくれよ」と思っていました。
しかし、経済に特化した新聞だったからこそ、電子版を重んじるような同社の先見性とも相まって、現在の安定に至っているのでしょう。
ちょうどわたしがせっせと配達していた時期に日経社長を務められた圓城寺次郎氏(1907~1994)は、
日本経済新聞を、「経済に関する総合情報機関」というまったく新しいコンセプトで、根本からつくり変えようとした。(pp.118)
氏は「いつか新聞も出していた会社になりたい(pp.118)」とすら発言していたそうで、未来を見据える確かな眼を所持した経営者だった模様です。
それでも、
ヤフーの(中略)2021年度の売上は、1兆5674億円で、朝日、日経、読売3社の売上を足した額よりもさらに多くの売上をあげるようになっている。(pp.502)
勢いが異なります。
2008年、米国ウォール・ストリート・ジャーナル紙のデジタル版責任者ゴードン・クロヴィッツ氏(1958年生まれ)が日経に招待された折に語った「未来は紙にはない(pp.220)」。
正確な予想だったといえるのかもしれません。
いっぽう、ヤフー・トピックス編集長だった奥村倫弘氏(1969年生まれ)による、ヤフー社退職時のスピーチ、
「答えはネットの中にない。本の中にある」(中略)
答えはネットの簡単な検索やSNSのメッセージの中にあるのではない、多くの本を積み重ねて読んでいくことで見つかる、それがなくてはネットの世界でも生きていくことはできない、そう考えていた。そのことを若い仲間に伝えたかったのだ。(pp.465)
多くの人に耳を傾けてほしい言葉です。
が、業界人であれ一般人であれ、もはや引用した言葉の重みを感じ取る素養自体が乏しいのでは?
なぜかというと、本を読まない層はたぶん知的な問いをあまり有しておらず、したがって「答え」を模索してもいないと考えられて……。
いずれにせよ、紙の新聞(および本)は、わたしになくてはならない存在ですので、衰退してゆく姿など見たくなく、ぜひともがんばってほしい。
生きているかぎり応援します。
『2050年のメディア』は、朝日・日経・読売が大同団結しヤフー対抗策として始めた独自ポータルサイト「あらたにす(pp.141)」の顛末、ハーバード大学教授が唱えた学説「イノベーションのジレンマ(pp.197)」、読売新聞社におけるいわゆる「清武の乱(pp.256)」の真相、日本新聞協会で生じた「前代未聞のパワハラ(pp.399)」といった、興味深い話題が目白押しでした。
メディアに従事するかたがた、さらには、すべてのビジネス関係者が読むべき一冊。
ビジネスは戦いであり、戦いに勝つためには先を読む力がいかに大事か、リーダーにその力が欠けていたら会社はどうなってしまうかを、痛いほど知らされます。
金原俊輔