最近読んだ本685:『田中角栄の昭和』、保阪正康 著、朝日文庫、2025年

第64代および第65代の内閣総理大臣・田中角栄(1918~1993)に関する評伝です。

生年と没年を元号で記せば、大正7年に誕生、平成5年死去、こうなります。

彼の主たる活動期はタイトルどおり「昭和」でした。

田中が臨時国会で内閣総理大臣に指名されたのは1972年(昭和47年)7月6日で、当時、彼は54歳。

その日、高校生だったわたしは同級生らと大型ストアの店内をぶらついていて、陳列されていた何台ものテレビに田中角栄の総理大臣決定のニュースが流れたことをおぼえています。

ひょっとすると上記はわたしの記憶違いかもしれず、テレビで報道されていたのは(前日の7月5日に)田中が自民党総裁選に勝利したニュースだった可能性もあるのですが……。

田中が「独自の政策を書きこんで著した『日本列島改造論』はベストセラーに(P. 228)」なっており、総理大臣として本邦を率いた初めのころは「小学校卒の叩きあげの(P. 272)」「庶民宰相(P. 221)」として多大な人気を博していました。

ただし、『日本列島改造論』は、おそらく田中自身が執筆したものではないでしょう。

保阪正康氏(1939年生まれ)も「田中自身が直接に書いたのか否か、私は定かには知らない。秘書がこの書のまとめ役となり、列島改造の部分は、各官庁の官僚たちの筆によると言われている(後略)。(P. 260)」と述べておられます。

もうひとつの叩きあげ庶民宰相の誉れはどうなったかといえば、1974年(昭和49年)より取り沙汰されだした「金脈問題」、1976年(昭和51年)に端を発する「ロッキード事件」などで、あえなく「国民の不信(P. 340)」を買い、「幻滅の対象(P. 345)」となり、「全国での批判(P. 375)」を受けました。

われわれ日本人は上昇と転落の人生を眼前にしたのです。

さて、この『田中角栄の昭和』、調べが行き届いた書物であり、著者の事情通ぶりを感じさせられました。

ただし、当方には田中に対する人物月旦をおこなう知見や所懐がありません。

話がおもしろい政治家として群を抜いていた件を認識している程度。

本書を読みつつ思いいたったことは、立場を悪用し不届きな行為をする政治家たちは田中以降も後を絶たず、しかし、田中レベルで「天才的な発想ができる人(P. 3)」は昨今の政界に見当たらない、という残念な事実です。

金原俊輔