『現代日本の批評 1975-2001』、東浩紀監修、講談社、2017年。

心理学に「メタ認知」という術語があります。

自分が認知している状況を、ワンランク上の位置から俯瞰的に認知する、そういう意味合いの言葉です。

メタ認知が高い人は、要するに「頭が良い」人です。

本書の著者たちはメタ認知が非常に高い、つまり頭がとても切れる、かたがたでした。

東氏(1971年生まれ)をはじめとして全4名が座談会形式で種々のテーマに関する私見を述べられています。

鋭く、膨大な知識に裏打ちされ、掘り下げが深いご意見ばかりでした。

わたしはみなさまの、抽象的かつ難解な事柄をお考えになり、そしてそれを当意即妙に口語に直し説明してゆく能力の高度さに、心から敬服しました。

それでは、『現代日本の批評』がわたしにとって充実した読書になったかというと、あまりなりませんでした。

理由はふたつあります。

まず、これまであれこれの評論を読んできて、わたしが勝手に違和感をおぼえているのは、「精神分析的にいえば~」「Mの世代が~」「3.11以降~」「大文字の~」「カッコつきの~」といったお定まりの言葉が頻出する傾向です。

本書も例外ではありません。

冒頭で「『Mの世代』の時代」として示したのは、そうした変化がいわゆる大文字の政治の変化としてだけではなく、大文字と小文字の対立としても起こったということです。すなわち、「イデオロギー」なのか「消費」なのかという問題が、くっきりと顕在化したのがこの時期でした。(pp.188)

このような調子でした。

お定まりの言葉をつかうということは、ある意味、文章・会話が仲間うちだけに向かっているということで、外の世界と本気で渡り合おうとする姿勢が感じられないのです。

つぎに、いわゆる「ソーカル事件」にたいする著者たちの受けとめかたも、わたしとは相反していました。

東  その一方で、ポストモダン哲学そのものには、アカデミズムから疑義が呈されるようになる。ソーカル事件が起きたのはまさにこのころです。2000年には金森修の『サイエンス・ウォーズ』が出ています。
市川  読者のために補足しておけば、ソーカル事件というのは、アメリカの物理学者アラン・ソーカルが、ポストモダンの思想家が科学的概念を曖昧に用いたテクストをコピペして、適当な説明を加えた論文をカルスタ系の雑誌『ソーシャル・テキスト』に投稿したら、まんまと査読を通ってしまったという批評的な悪戯(いたずら)のことです。(後略)
大澤  おもしろいことに、『サイエンス・ウォーズ』は『存在論的、郵便的』の翌年に同じサントリー学芸賞を受賞しているんですよね。
東  つまり、ぼくのデリダ論は早くもそこで死刑宣告されていた(笑)。
市川  ソーカル事件そのものも賛否が分かれてはいたけれどね。(後略)(pp.280)

アラン・ソーカル氏(1955年生まれ)のポストモダン派への異議申し立てには、たしかに賛否両論があったでしょう。

わたしの場合は賛成派で、同氏の行為に拍手をおくりたい気分でした。

むかし、ポストモダン哲学の書物に目を通していたときに、晦渋(かいじゅう)さに辟易(へきえき)し、「この本はまともなのか?」「いま、自分は時間を浪費しているのではないか?」という疑問をもった経験があったためです。

金原俊輔