『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』、橋本治著、朝日新書、2019年。

橋本氏(1948~2019)は20歳代から頭角をあらわし、70歳で鬼籍に入られるまで言論活動をおつづけになった、文芸の才人です。

わたしはお名前だけを存じあげており、しかし、いままで氏の本を読んだことはなくて、お考えに接するのは今回が初めてでした。

標題作は病床に就きつつ執筆された模様です。

そのためでしょうか、誠に恐縮ですが、わたしは「そう重要ではないテーマに関し、斬新とはいえないご意見を開陳していらっしゃる」程度の印象しか受けませんでした。

例をあげます。

著者は第5章「父権制の亡霊」で、政治家が「『自分はえらい』と思っている(pp.193)」件について、考察されました。

考察にあたり、現代の政治家たちを往年の武士と比較しながら、

明治になって武士達は、世襲による階級差をなくし、「武士」という職業も失ってしまった。(中略)
だから、官僚養成のための学校 - 後の東大を作る。職を失った武士達の息子は、新たな武士にならんとして、ここにやって来る。既に受験地獄は百五十年近く前から用意されている。
こういうことになると「議員はなぜえらいのか」の答も見えて来る。政治家=議員というものは、選挙という関門を経てなることが出来る、新しい武士階級なのだ。(pp.197)

と、述べていらっしゃいます。

受験による関門と選挙による関門との類比は分りやすいものの、これは誰だって容易に着想がわくでしょう。

官僚の世界には進まなかった東大卒業生のほうが多いはず、という異議ものこります。

そもそも、わたしには、政治家が自分自身を「えらい」と受け止めていること自体、考察をおこなうべき由々しい問題とは思えませんでした。

「そうなのか」で終了して構わないのではないでしょうか。

念のために当該問題を検討すると、おそらく政治家という「新しい武士階級」は官僚など公務員のかたがたと相対している際に「えらさ」を実感する、あるいは誇示する、ところが、公務員諸氏も(行政に携わっておられるのですから)むかしでいえば武士階級なわけで、だとしたら、引用した文章はあつかっている事柄の線引きが明確になっていない、混乱している、なにを基軸に特定の結論へたどりつこうとしているのかが不明瞭、となってきます。

ご容態が重篤だったせいなのでは?

著者の他作を知らない関係で、わたしはこれ以上思案できません。

いっぽう、共感する箇所もありました。

第3章「女と論理」。

橋本氏は昨今の女性政治家たち(それは、稲田朋美氏、豊田真由子氏、今井絵理子氏、山尾志桜里氏、蓮舫氏、丸川珠代氏、小池百合子氏、の面々です)の「どうしようもない為体(ていたらく)(pp.117)」を嘆き、

政治家なんだからさ、少しは「全体のこと」を考えようよ。「女である自分」を前に出すことだけを考えてると、ろくなことにはならないんだ。「女の論理」なんかどうでもいいから、「女」ということでへんなものといっしょくたにされないように、もう少しちゃんとして。(pp.119)

苦言を呈されました。

女性政治家が登場するつど支持し、あげく、しばしば落胆させられているわたしとしても、心から賛同したお言葉です。

みなさま、もっと「全体のことを考え」てほしいです。

著者のご冥福をお祈り申し上げます。

金原俊輔