『サービスの達人たち:おもてなしの神』、野地秩嘉著、新潮文庫、2019年。

サービス業に携わっておられる人々の、ご自分が関わる領域における、真心からの、工夫をこらした、接客術を精察した本です。

寿司職人、レクサス「テレマティクス・サービス」オペレーター、ソムリエ、宅配便ドライバー、ウェイターなど、全10種類の職業従事者へのインタビューがなされました。

書中、彼らや彼女たちが発したお言葉は「金言」の目白押しです。

例をあげましょう。

1日に1000人の客が来るという東京・日暮里駅の立ち食い蕎麦屋「一由そば」の店主。

彼は70歳。痩せていて小柄で、のんびりした表情で接客する。「いらっしゃいまし」とあいさつする。「いらっしゃいませ」は女性の言葉だからと、男性語を使っている。しかも、接客で話す時の声はすべて「ファ」の音だ。ドレミファのファである。
「ファの音がもっとも人間を癒(いや)すから」と彼は言った。(pp.43)

夢想だにしませんでした。

本当に「ファ」の音が他者を癒すかどうかは分らないものの(ひとりでちょっとやってみたら、気もち悪かった……)、発想・取り組み・心構えを尊敬いたします。

お客様のために、ここまで考えるプロフェッショナルが存在するわけです。

本書で紹介された皆様、どのかたもお仕事に誇りをもち、仕事内容をすこしでも高めるための孜々(しし)としたご努力を怠りません。

副題をもじれば、まさに「おもてなしの神々」でした。

いまの若者だったら「神対応を受けた」、こう表現することでしょう。

以上、わたしは当初「すばらしい作品にめぐりあった」と喜んでいました。

ところが、一箇所、非常に残念な挿話がありました。

著者(1957年生まれ)が、不動産業者の知人が運転する車で人気店へ食事に行った際、なぜか順番待ちをする必要もなく入店でき、そして知人は店内でお酒を飲みだしたそうです。

帰りはどうするのかと思ったら、行列に並んでいた部下が運転して、送っていった。(中略)
「野地さん、今日はもつ焼きの気分だったけど、ゴルフ終わった後とか車で走りながら、『やっぱり餃子(ぎょうざ)とビールだ』みたいなことってあるでしょう。部下を並ばせてあるって言ったけれど、僕は一応、新潟屋にも並ばせてあるんですよ。ここも行列だから。(後略)」(pp.120)

つまり、私用なのに、部下おふたりを飲食店2店の外で並ばせていたのです。

部下はお嫌だったでしょう。

おそらく1度や2度ではないのでは……。

どんな読物に記されていても鼻白んでしまうエピソードですが、よりによってサービスだのおもてなしだのをテーマとしている書籍内に出てきました。

中身にそぐわない話です。

上司が部下をもてなさなくて、おのれに奉仕させて、どうする?

著者がその知人の行為に疑問を感じておられないことにもがっかりさせられました。

金原俊輔