最近読んだ本124
『ユニクロ潜入一年』、横田増生著、文藝春秋、2017年。
ルポルタージュ作家の横田氏(1965年生まれ)が、アルバイトとして1年間こっそりユニクロ社の従業員となり、ご勤務中に体験した不快・違和感をあらいざらい世に問うた作品です。
同社とのあいだに軋轢(あつれき)を有していた著者は、バイトに採用されるため、ご自分のお名前を合法的に変えました。
すごい作家魂です。
その結果、上掲書はおもしろい読物になりました。
日本人が知るべき切実な情報が記されていた本でもあります。
さて、わたしは先にユニクロでの「不快・違和感」と書きました。
しかし、それはワンマン経営者である柳井正社長に起因するものばかりで、働いているかたがたは「ごく普通」という感じでした。
バックルームで作業をしていると、トルソー(マネキンのこと)に洋服を着せていた船越さんという女性が、「ダブルワークでしょう? 本業は何しているの?」といたずらっぽく訊いてきたのには、少し身構えた。しかし、すぐにおしゃべり好きな女性だとわかった。
また、田崎さんという同年代の女性社員に軽作業を頼まれたので、「承知しました」と私が答えた。すると、彼女は、私の顔を覗き込むようにして、「ここで長く働くの?」と訊かれ、そのつもりだと答えると、「それなら、ここでは、かしこまりました、と答えるようになっているから」と教えてもらう。(pp.61)
外国人たちもがんばっていらっしゃいます。
中国人の男性アルバイトは、大声で張り上げる活気出しの意味がよく伝わっていない、という状況もあった。一所懸命に声を出してはいるのだが、見ていて何だか痛々しかった。(中略)韓国出身の20代の男子学生は、外国人アルバイトの中で一番日本語ができた。彼が、私の近くで活気出しをしているとき、左手に何枚かのカードを挟んでいるのを見つけた。私が彼に近寄って、何を持っているのか、と訊いてみると、活気出しのパターンをいくつもカードに書いて、それを大声で読んでいるのだ、と言う。その熱心さに頭が下がる思いだった。(pp.152)
ユニクロを訪れたときに悪い印象をまったく受けないのは、勤めておられる皆さまのご苦労の賜物なのでしょう。
ところで、わたしは本書を読みながら、ふたつの疑問をもちました。
ひとつは取材上の倫理です。
たとえば、著者の前作の取材を受けたせいでユニクロ社をクビになってしまった男性が登場してきます。
中国の委託工場で勤務していた人でした。
私は、日本で起こっている裁判の経緯を説明し、書籍に書いたことは間違いないと証言してくれないかと頼むと、日本語が堪能な彼は、「申洲での仕事がなくなったのは横田さんのせいよ。横田さんに仕事を探してほしいよ」と私の記事が出たために馘首となり、現在は「牛糞などを素手で扱う野良仕事」に従事していると憤る。(pp.37)
こうした展開はとうぜん予想できたはずですから、著者は登場人物の匿名性を高めるなど、じゅうぶんなご配慮をしておくべきでした。
船越さんがこうつづけた。「2、3日前、ユニクロが難民を店舗で雇用して支援するニュースがテレビで流れていたけど、難民を支援する前に、私たちの仕事を確保してよ、という感じだよね」
「日経新聞」は2015年11月25日、「ファストリ、難民支援を拡大 国内外ユニクロで100人雇用」という記事を掲載している。(中略)柳井社長と国連難民高等弁務官が握手している写真が添えられている。(pp.93)
この一節も心配になってきます……。
もうひとつの疑問は、ユニクロ社の欠点だけを責め立ててもあまり意味がないのではないか、ということです。
例をあげましょう。
月の給与は、4万円台から10万円台までで、繁閑差に合わせて上下した。2016年の年間の給与は、額面で80万円にも届かなかった。それでも、中野さんの生活が、成り立ったのは、正社員として働く母親と同居していたからだ。(pp.121)
深刻な状況とはいえ、低賃金の企業はユニクロにかぎりません。
私の神経を逆なでしたのが、感謝祭前日の日付が入った柳井社長からの激励の手紙。休憩室に恭しく掲げてあった。「一人ひとりのあなたへ」ではじまる手紙だった。(中略)経営者というより、教祖様からの慈悲深いお言葉がつづられた手紙のようだった。しかし、感謝祭前の殺伐とした空気が充満する休憩室には、場違いと思える手紙であった。(pp.264)
薄気味わるい手紙であるものの、これぐらいの愚行を演じている会社は国内でめずらしくないはずです。
著者は以上のようにユニクロを選択的に攻撃するよりも、働きづらい状況を作りがちなあちこちの経営者たちの経営方針やメンタリティなどの吟味に話を進めるべきでした。
まんいち本書のおかげで柳井社長が改心し、ユニクロの給与の低さ・過重労働・カルトっぽさがなくなったとしても、それは日本社会の一角での限定的な変化にすぎず、依然として多くの労働者が無数の勤務先であえいでいるのです。
まとめとして、文化人類学に「フィールドワーク」という研究法がありますが、著者がユニクロに対してとられた手段はそれに近いものでした。
事前にしっかりフィールドワークのご勉強をされていたら、わたしのひとつめの疑問は生じなかったでしょうし、もっと普遍性につながる考察を加えることによってふたつめの疑問も弱まり、中身がいっそう濃い良書になっていただろうと想像します。
金原俊輔