最近読んだ本382
『総統とわたし:「アジアの哲人」李登輝の一番近くにいた日本人秘書の8年間』、早川友久著、ウェッジ、2020年。
著者である早川氏(1977年生まれ)は、台湾の元総統・李登輝(1923~2020)の秘書でした。
上掲書によれば、李を「元総統」ではなく「私を含めた事務所の側近はもちろん、一般の台湾の人たちまで(中略)『総統』と呼びかけていた(pp.16)」由ですので、以下、わたしもそのようにさせていただきます。
総統が不世出の政治家であったことは言を俟(ま)ちません。
彼の政治的な業績を高く評価した書籍はすでに日本国内で幾冊も出版されています。
いっぽう『総統とわたし』は、本人が総統職を辞した遥かのち、2012年からの8年間を語ったもので、それだけにプライベートな話題が連なりました。
まずは、李が総統の座につくと決まった夜。
1988年1月、蒋経国総統が急逝し、その夜に総統に昇格した李登輝は、国家を背負う重責の大きさに慄(おのの)き、なかなか寝付くことができなかった。そんな夫を見かねて、夫人が「お祈りしましょう」と聖書を出してきた。(中略)
これを読んだ李登輝は、安心して眠りにつくことができたという。(pp.88)
ご夫妻の仲の良さが窺えるエピソードでした。
もうひとつ例をあげます。
総統が貧乏学者だった新婚時代の逸話なのですが、新婦の曽文恵氏は、
実家から持ってきていた宝石や着物を少しずつ米やお金に換えて生活を支えていた。しかし、夫の研究に役立つのなら、と一大決心をする。手元にあった宝石などを一挙に手放し、夫が欲しがっていた辞典の費用に充てたそうだ。
「私の母が『学者にとって必要な本は時機を逃したら意味がない。今すぐ買うように』とアドバイスしてくれたから思い切って買ったのよ」と、曽文恵は昔の思い出話の折に話してくれた。(pp.139)
ふたつの引用文のように、本書では夫婦間の温かい結びつきがたびたび記述されました。
総統の秘書であることを超え、著者は雇い主や奥様からあれこれ思い出を聞けるほど関係が深く、また、信頼が厚かったのでしょう。
つぎのプライベート情報に移ります。
わたしは総統が大柄だった件は知っていましたが、「188センチ(pp.188)」もの長身でいらしたというのは初耳でした……。
さて、総統が日本を台湾と同じくらい愛し、衷心より想ってくださっていた事実は有名です。
晩年における面会予約の際、
多少体調が悪くとも、連日のようにスケジュールが入っていても、(中略)特に「日本から来る」と言えば、李登輝は即決で「OK」と言ってしまう。(pp.56)
著者は、秘書として困ったでしょうけれども、邦人としては嬉しかったのではないでしょうか。
総統が死去される数年前に、日本語でおこなった講演「人類と平和」用の原稿の、
結論では国際社会の安定を考える上で、各国間の抑止やバランス・オブ・パワーを無視することが出来ない以上、国家が自国を守るために武力を持つことを排除することは出来ない、と書いた。ただ、武力を持ちつつも、いかにして戦争に訴えることなく秩序を保つのか、その方法を考えるのが現実的見解だろう、とも書かれていた。
私は分かった。李登輝は当時、安倍晋三首相が決断した、集団的自衛権の行使容認を受け、それを側面支援するためにこの原稿を書いたのだ。
日頃から「軍隊を持つ目的は戦争をするためではない。国際社会でいじめられないために持つのだ」と言っていた李登輝の主張を、文字に落とし込んだのがこの原稿だった。それほどまでに李登輝は日本に期待し、日本を応援することを厭わなかった。(pp.198)
わたしを含め、多くの日本国民から敬愛されていた存在でした。
惜しい人物を亡くしました。
総統の長逝を受け、2020年8月、わが国の森喜朗元首相が病をおしながら弔問団を率いて台湾へ赴き、同年9月の告別式にも参列された労を多といたします。
日本政府が大恩ある偉人にしっかり礼を尽くした形となり、われわれ台湾ファンを安堵させました。
ただし、わたしは、告別式には安倍晋三元首相が出席なさるべきだったと思っています。
金原俊輔