最近読んだ本478:『頭山満:アジア主義者の実像』、嵯峨隆 著、ちくま新書、2021年
わたしは頭山満(とうやま・みつる、1855~1944)に関して無知です。
ただ、明治時代をあつかった史籍では彼および(彼の所属先だった)玄洋社がしばしば語られ、いつしか、よくわからないままに「西郷隆盛の亜流?」という失礼な印象を抱いていました。
印象が失礼なる自覚は所持し「機会があったら、頭山についてきちんと学びたい」と思っていたため、今回『頭山満』を選びました。
同書は、
明治・大正・昭和にわたって活動した国権主義者にしてアジア主義者として知られる。しかも彼は、いかなる公職にも就いたこともない、生涯「無位無官」の浪人であった。(pp.7)
主人公を簡潔に紹介したあと、その生涯を論じてゆきます。
思想史を専攻される著者(1952年生まれ)が、歴史学的な考察を十分まじえつつ、一書を牽引してくださいました。
さて、頭山が信奉した「アジア主義」ですが、
頭山は次のように述べている。
天子様は世界に上御一人だけだ。実に日本の天皇陛下に依つて、皇道を世界に布くことが、神意であると信じて居る。其処に世界民族も亦その堵(と)に安んじ、所謂世界を挙げて皇道楽土が招来されるのである。
これこそ、頭山の皇(すめら)アジア主義の基礎となるものであった(後略)。(pp.63)
つまり、アジア全土に日本の天皇陛下を戴かせるという思想であり、これは諸国を侵略して植民地化したのち強行する暴挙としか受けとめられず、だとしたらもってのほか、いまやとうてい賛成できる考えかたではありません。
わたしはげっそりしました。
板垣退助(1837~1919)
中江兆民(1847~1901)
犬養毅(1855~1932)
孫文(1866~1925)
宮崎滔天(1871~1922)
ラース・ビハーリー・ボース(1886~1945)
蒋介石(1887~1975)
こうした大物たちが現れるのが救いで、彼らの人生が頭山の人生と交錯……、本書を読みすすむ意欲を持続させました。
頭山が真心をこめて孫文やボースを支援したエピソードに接すると、彼が非常な人格者であったと窺え、尊敬の念が起こります。
国民からは「豪傑(pp.11)」「豪放な人物(pp.11)」「国士(pp.12)」「仙人のごとき人物(pp.12)」「仁人君子(pp.227)」などと称揚されていたそうです。
頭山のそれまでの活動は演劇にもなった。中村吉蔵作の「頭山満翁」という題名で、新国劇によって1940(昭和15)年3月31日から4月28日まで帝国劇場で上演されたものがそれである。存命中の人物の活躍が舞台化されるなどということは、あまり聞いたことがない。それほど、当時の彼は英雄視されていたといえるだろう。(pp.228)
称揚だの「英雄視」だのを受けていたのは西郷隆盛(1828~1877)も同様だったわけで、ふたりの共通点といえるでしょう。
しかし、
頭山満の生涯は反英米の意識で一貫していたということができる。(pp.235)
上記の傾向を有しており、書中、「反英米」と見なせる直接的・間接的証拠が列挙されました。
本コラムにおける二番目の引用「皇道」云々と反英米とを合わせれば、詮ずるところ、頭山は尊王攘夷の人だったと言えるのではないでしょうか?
尊王攘夷活動は、世界情勢がある程度単純な幕末だったからこそ、そのうえ偶然もあれこれ重なったからこそ、わが国の発展に寄与しました。
いっぽう、昭和時代に本気で英米相手の攘夷を唱えたりすると日本がどうなってしまうか、第二次世界大戦の結果を振り返れば明らかです。
彼は、江戸期後半に生まれていたら言動が時代の要請に沿い、いっそう巨大な足跡を残せたやもしれません。
以上より、わたしは頭山満の印象を「遅れて登場した西郷隆盛?」に変更しました。
金原俊輔