最近読んだ本581:『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである:コロナ禍「名店再訪」から「保守再起動」へ』、福田和也 著、河出書房新社、2023年
わたしは長らく福田氏(1960年生まれ)のご著書を愛読してきました。
今回ひさしぶりに同氏の新作を見つけ、購入したのですが、著者近影を見て驚愕。
氏があまりにもお瘦せになっており、むかしの面影がないのです。
体重は30キロ以上落ちた。ダイエットをしたわけではなく、食えなくなったのだ。恐らく以前の半分も食えないだろう。認めたくはないが、頭の力も衰えた。(pp.13)
なんらかのご病気を患っていらっしゃると思われます(じつは、わたしは懸念しておりました。「最近読んだ本248」)。
ただ、書中、氏はその件について詳述なさっておらず、とはいえ痩せかたから察するに軽いものではないみたいです。
本書は、福田氏がお好きな料理屋あるいは居酒屋を訪ね、コロナ禍にあえぎつつも店を存続させようとがんばる店主たちの努力や心意気を取材し、加えて、飲食店は本邦文化の一角に位置するというお考えを語った内容で、さらに、保守系人物評のページもありました。
飲食店は料理や酒を出して利益を得ているだけの存在ではない。店主はそれぞれ、こんなものを世の中に提供したいという志をもって開業し、それが支持されて繁盛店にもなり、何代も続く老舗にもなる。その営為は日本の伝統や文化と結びついている。
政府は、今のコロナ対策が日本人の志を、日本の伝統や文化を破壊していることを自覚すべきだ。(pp.47)
飲食店に悪影響をおよぼした政府のコロナ対策とは「ステイホーム(pp.67)」だの「酒類提供禁止(pp.93)」だの「営業時間を短縮しろ(pp.130)」だの「客にマスク食をすすめろ(pp.130)」だのです。
新型ウイルスがどのような拡大の仕方をしてゆくか予測できなかったため、やむを得ない措置だった面もあるとはいえ、たしかに結果として対策は全国の飲食店を追い込んでしまいました。
福田氏のご主張どおり、文化的な損失にもつながったでしょう。
お怒りは当然ですし、怒っているのは福田氏だけでないはず……。
ところで、本書の特異なタイトルについて説明しておくと、これは氏独自の表現ではありません。
かつて福田恆存は、「保守とは、横丁の蕎麦屋を守ることだ」と看破した。(pp.128)
福田和也氏はこの表現がお好きと思われ、対談などの際によく引用なさいます。
「保守」。
評論家・永江朗氏(1958年生まれ)は、
永江朗 著『批評の事情:不良のための論壇案内』、ちくま文庫(2004年)
の「福田和也:小林秀雄への道」章にて、
彼の国家主義者、右翼としてのもの言いは、多分にファッションとしてのそれではないのかと私はにらんでいる。(中略)むしろ右翼とか保守とか国家なんて、本当はどうでもいいと福田は思っているのではないか。(永江書、pp.341)
と、臆断なさいました。
しかし福田氏は、
私は保守を自認している。(pp.127)
ご自分を保守と明言なさったのです。
おそらくは体調不良のなか、しぼりだすように執筆されたであろう日本を憂う文章に接し(保守的なわたしは)感銘を受けました。
これからも私は飲み、食い、書く。力が尽きるまで。(pp.123)
氏のお力が近い将来尽きたりしないことを切に望みます。
金原俊輔