最近読んだ本394

『ルポ 新大久保:移民最前線都市を歩く』、室橋裕和著、辰巳出版、2020年。

1970年代の中盤、わたしは長崎県から上京し、新宿区高田馬場にて暮らしだしました。

新大久保はお隣だったので、よく散歩でブラブラしたものです。

当地で生まれ育った内藤雅也氏は、

1955年(昭和30年)生まれの内藤さんが物心つくころ、大久保通りは「日常の身の回りのものを売る」ごく普通の商店街だった。雪が降るとよく長靴が売れたそうだ。
少しずつ街の姿が変わっていったのは高度経済成長期からバブル期にかけてのことだ。スーパーマーケットが現れて個人商店の売り上げに影響が出るようになる。(pp.326)

わたしが新大久保へ行っていたのは、ちょうど高度経済成長が終了した時期ぐらい。

年齢がおなじ内藤氏が有される記憶に比べるとこちらの記憶は芳しくなく、流行っていない商店ばかりの「場末」という印象でした。

爾後、約半世紀が過ぎ去りました。

そうしたところ、

新大久保の住民は、休日になると少し気が滅入る。大久保通りがごった返すからだ。狭い歩道は日本人の韓流女子で埋め尽くされ、まともに歩けなくなる。(中略)
3連休にでもなれば、ほとんど満員電車状態になる。都内近郊だけでなく、地方からも女子が大挙するからだ。新大久保はすでに、日本全国から注目される観光地となっている。(pp.110)

これほどの盛況に転じているのです。

きっかけは多数の外国人が入ってきたこと。

いまや全住民の「40%が外国人(pp.39)」なのだそうです。

国籍も多彩であり、本書には、韓国人・インド人・ネパール人・ベトナム人・ミャンマー人・バングラデシュ人・カナダ人・アメリカ人・台湾人・中国人たちが、引きも切らず登場しました。

日本が多数の移住者を受け入れたらどうなるかを実験しているかのごとき地域です。

著者(1974年生まれ)は「アジア」がご専門のノンフィクション作家で、新大久保に移り住み、エスニックな店舗や宗教施設を訪ねたり近所の方々と触れ合ったりなさいました。

以上の体験報告が『ルポ 新大久保』です。

「闊達(かったつ)な若さと、エネルギー(pp.45)」にあふれる現在の街の様子が仔細に紹介されました。

わたしは東南アジア諸国の市場にただようゴチャゴチャ感が好きなのですが、新大久保にも相通じる雰囲気があるように思われ、うれしくなります。

いつか再訪してみたいです。

日本人住民が少しずつ減っていき、代わりに外国人住民が増えていく。それが新大久保の姿でもある。(pp.145)

減った、つまり新大久保を離れた日本人は、のこした住居をマンションに改装し部屋代で収入を得ている由ですから、減少はそう深刻な問題でないだろう、と想像しました。

子どもたちはどうしているか?

邦人児童が4割、外国由来の児童が6割の、新宿区立大久保小学校では、

国際情勢でなにか揉めごとがあっても、子供同士ではなにも起こることがない。日本は中国、韓国とたびたびいざこざを起こしてはいるが、それは校内にまったく影響がない。けんかやいじめも起きないし、親たちが子供を休ませるわけでもない。(pp.355)

理想的状態のようでした。

特殊な社会の新大久保で成長した次世代層が、将来も、日本人・外国人の区別などない関係を堅持してくれたら、と願います。

著者がJR新大久保駅の駅頭を叙述した文章を引用して、今回のコラムを締めくくりましょう。

界隈の中心となっている「ナスコ」の社長はインド南部出身のイスラム教徒だ。20年以上前に新大久保に進出し、ハラル食材店とレストラン、さらに上階にモスクをつくったことから、少しずつイスラム教徒が集まる街になっていった。いまでは「イスラム横丁」なんて呼ばれている。
とはいえ、「ナスコ」の正面にはベトナム人留学生のたまり場「ベトナムフォー」があり、その向かいにはネパール人に人気の飲み屋「モモ」があり、中華系の美容室だのミャンマー食材店だのも点在する。パチンコ屋の換金窓口でほくほく顔なのはネパール人だろうか。「餃子の王将」から出てくる東南アジア系の男たち、バーベキュー・チキンにかぶりついている日本人の高校生たち。(pp.49)

滲(にじ)みでるグローバリズム情趣……。

わたしは米国カリフォルニア州サンフランシスコ市に約10年間居住したのですが、同市は多民族が混交していることで有名でした。

新大久保って、なんだかちょっと「小さなサンフランシスコ」みたいな感じです。

金原俊輔

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