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『伝説となった日本兵捕虜:ソ連四大劇場を建てた男たち』、嶌信彦著、角川新書、2019年。

日本が第二次世界大戦に敗北したあと、多くの兵士がソビエト連邦の捕虜になりました。

そのなかで、当時ソ連領だったウズベキスタンの首都タシケント市へ連れて行かれ、強制労働として「アリシェル・ナボイ劇場」を建設させられた人々がいたのは、周知の事実です。

総勢457名。

彼らはご苦労・ご努力のすえ立派な劇場を完成させ、20年後、1966年「タシケント大地震(マグニチュード5.2)」が生じた際にその劇場が倒壊しなかったことも、よく知られています。

本書は以上の顛末を詳細に追った史話でした。

ソ連の歴史に残るオペラハウスとなる以上、日本人の誇りと意地にかけても最良のものを作りたいと思っている。(中略)
後の世に笑われるような建築物にはしたくないと考えている。さすが日本人たちの建設したものは「出来が違う」といわれるものにしたい、と本気で思っている。(pp.126)

これは隊長として捕虜たちの精神的支えになっていた永田行夫大尉(1921~2010)の言葉です。

一同の心に染み入り、懸命な仕事ぶりにつながりました。

言葉の力だけだったとはいえません。

ある日、ひとりのウズベキスタン人が、

片言の日本語で話しかけてきた。
「日本人は自国にいても、みんな仕事に熱心でそんなに器用なのか。近くの収容所にいるドイツやイタリアの捕虜は、いつもサボって真面目に働こうとしていないよ」(pp.201)

日本国民がかなり共有する勤勉さも関与していたと考えられます。

捕虜の立場とはいえプライドを失わず、民族性も忘れず、自分たちに与えられた役割を孜々(しし)として果たされた皆様に、頭が下がりました。

親切で温厚なウズベキスタン人たちと一緒に作業をした点も、劇場建設にあたってプラスに働いた模様です。

たとえば、

昼休みに腰を下ろして休んでいると、50歳位の女性が見慣れた手提げ袋から大きな饅頭(まんじゅう)を日本人捕虜に配ってくれた。カリャーキンの奥さんだった。
「早く食べて! 早く! 早く」
とせかす。日本人捕虜に食べ物を与えていることが見つかれば、ソ連将校から罰せられるからだ。(中略)
おいしそうに食べているのを見てカリャーキンの奥さんは嬉(うれ)しそうに目を細めていた。(pp.204)

感謝の念が起こります。

個人的に心配したのは、既述タシケント地震のときですら劇場がビクともしなかったという大事なエピソードが、本書「序章」に書かれていたこと。

ふつう最後にもってくるのではないかと思ったので……。

そうしたところ『伝説となった日本兵捕虜』の「終章」は別の話題でしっかり締められており、わたしは感動で目頭が熱くなりました。

金原俊輔

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