最近読んだ本425
『アジア血風録』、吉村剛史 著、MdN新書、2021年。
上掲書では、WHO(世界保健機関)、中国、台湾、ベトナム、朝鮮半島、などに関する章が設けられています。
どの章にても最新かつ重要な情報が記述されていたなか、わたしがとりわけ興味をおぼえたのは第3章「ベトナム:残留日本兵の手記」でした。
第2次世界大戦における日本の敗戦後、
この当時、700~800人の元日本兵らが、ベトナムを中心に仏印に残留したと見られ、井川省(いがわせい)陸軍少佐らを筆頭にうち600人程度が独立戦争に参加したと推測されている。(pp.166)
仏印とは「フランス領インドシナ(pp.152)」のことで「フランスが19世紀末までにベトナム、ラオス、カンボジアを保護国化した連邦(pp.159)」を意味します。
なぜ日本兵多数が残留し仏印諸国の独立戦争に荷担したのか?
大戦中に「アジアの解放」を訴えて現地人工作員を指揮してきた自身の言動にそむくまいという気持ちが強かったのではないだろうか。(pp.165)
すばらしい倫理・責任感です。
そして説明文のお気もちを有していたおひとりが、谷本喜久男(1922~2001)陸軍少尉でした。
陸軍中野学校の出身者。
戦時中、ベトナムは日本の支援によりフランスから独立したのですが、終戦にともない、フランス側がベトナムを再占領しようと動きだします。
谷本は母国へ引きあげず、「グエン・ドン・フン」なるベトナム名を名乗って、現地初の陸軍士官学校に身をおき若いベトナム人たちを指導、また、ベトナム兵を率いフランス軍とのあいだで死闘を繰りひろげました。
おもしろかったエピソードは、ベトミン(ベトナム独立同盟)とともにフランスの兵舎を急襲した際、
残留日本兵の戦闘時の号令は、日本語であったという。(中略)
大刀をかざして「突撃ィ」「前へ」等の号令をかけたものの、戦闘に不慣れなベトミン兵は突撃をためらった。にもかかわらず、フランス軍側は(中略)その勇猛さを熟知している日本軍式号令に混乱したのか、応戦せずに逃走した、という。(pp.168)
上記は谷本を説明する文章に書かれていたわけではないものの、おそらく谷本自身も体験した珍事と想像されます。
谷本はベトナムで9年間活動したのち、1954年、11年ぶりに日本へ帰還しました。
故郷の鳥取県で結婚し、小学校長となり、交通事故によって他界するまでの50年ちかく、安定した後半生をすごした模様です。
先の大戦について「日本がアジアを侵略した」とする視点がある一方、「アジア人のアジア」を掲げ、現地工作員とともに戦った以上、国家や軍隊が滅んだ後も、その言動を貫こうとした人物が存在したこともまた、事実として記憶しておかなければなるまい。(pp.181)
心から共感いたします。
わが国の歴史を振りかえるにあたって役立つ、有益な書籍との出会いでした。
以下、ついでといっては何ですが、この『アジア血風録』本筋とまるで無関係な話題を引用します。
「卵かけごはんの発案者」としても知られる明治のジャーナリストで実業家、岸田吟香(1833~1905)(後略)。(pp.51)
わたしは卵かけごはんに特定の発案者がいた事実を初めて知りました……。
金原俊輔