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『私はヒトラーの秘書だった』、トラウデル・ユンゲ著、草思社文庫、2020年。

トラウデル・ユンゲ(1920~2002)は、ドイツ人女性です。

1942年末から1945年4月までの2年半、ドイツ首相かつナチ党総統だったアドルフ・ヒトラー(1889~1945)のもとで秘書として働きました。

1945年5月にナチス・ドイツは崩壊。

そののち、ユンゲは約1年をかけ、体験記をまとめました。

当該体験記が『私はヒトラーの秘書だった』の草稿で、執筆が終了したのは1948年だったそうです。

上掲書は、ヒトラーのごく身近にいた人物がのこした記録である点、年月を経たあとの回想ではなく記憶が新鮮だった時期に認(したた)められたものである点、以上2点によって、たいへん資料的な価値が高い外史になりました。

資料的価値が高いだけではありません。

著者ユンゲの文章力が抜群で、観察がするどく、描写は緻密、おだやかなユーモアも散りばめられ、そもそもテーマ自体が重要な、批判しようがない歴史ノンフィクションです。

批判といえば、「訳者あとがき」で述べられているとおり、ユンゲの思い出話にはヒトラーやナチスにたいし「どちらかというとポジティブ(pp.403)」な雰囲気が揺蕩(たゆた)っています。

おそらく彼女が包み隠さず自身の見聞と感想を吐露した結果であって、『私はヒトラーの~』における瑕瑾(かきん)であると同時に、信用できる体験記であることをも示唆しているといえるでしょう。

さはさりながら、わたしは本書をユダヤ人の皆さまがどう受けとめるのか、気がかりです。

たとえば、ユンゲは敗戦後、まずソ連軍に捕らえられ、つづいてアメリカ軍に拘置されました。

当人いわく、

アメリカ軍のところでは、拉致とか拷問とかを恐れたことは1分たりともありません。彼らの対応は文句のつけようがなかったし、そのうえ憎悪も敵意も感じませんでした。(pp.373)

彼女はやや軽い気もちでこの箇所を記したと思われますが、ユダヤのかたがたはナチスから強制収容所へ「拉致」され、「憎悪」や「敵意」を浴び、ひどい「拷問」を受けたわけですので、被害者側としては心おだやかに読むことができないはずです。

ポジティブっぽさが、原稿完成は1948年なのにドイツ国内での出版が2002年だった、という遅い展開の要因になっているやもしれません……。

では、あらためて中身に入り、著者が初めてヒトラーと会ったときの様子を見てみましょう。

「総統、ベルリンのご婦人がたです」
私たちは広々とした部屋に入り、デスクのまん前に立つ。ヒトラーがにこにこしながらこちらへやってきて、ゆっくり片腕を上げて挨拶し、それから一人一人に手を差し出した。そして私たちめいめいに、何という名前か、どこから来たのかなどと尋ねるとき、その声はひどく低くて太かった。(pp.56)

国家のトップとの面談ですから、ユンゲは緊張しました。

ヒトラーは、男も女もその威力から逃れきることのできない、ある種のカリスマ性を発していた。(pp.144)

彼女もまたヒトラーの「威力」に抗(あらが)いきれず、ファンのひとりになってゆきます。

とうとう両者は、

ヒトラーはいまだに私のことを末っ子の甘えん坊のように扱っていた。私をからかうのがとにかく好きだった。私はウィーンの映画コメディアンをまねてザクセン訛りを披露し、彼のジョークをはぐらかした。(pp.241)

こんな間柄になりました。

ヒトラーと親しみ、彼を慕い、彼の所業に疑念を抱かなかったことが、その後の人生で長らく著者を苦しめます。

上記に関連し、つぎのような一幕もありました。

政府所有の山荘へ、

バルドゥル・フォン・シーラハ夫人が訪ねてきたことがある。(中略)
「ヒトラーが客人たちと暖炉の前に座っていると、彼女が突拍子もなく始めたんだよ。『総統様、私、この間アムステルダムでユダヤ人の移送列車を見たんです。ぞっとしたわ。あの気の毒な人たちがどんな様子だったか、あの人たちはきっとものすごくひどい扱いを受けているのよ。ご存じなんですか。あんなことお許しになるんですか?』それから後の気まずい沈黙といったら! まもなく総統は立ち上がって挨拶すると、部屋に引っ込んでしまったんだ。(後略)」
以後、この出来事が話題にのぼることは一度もなかった。(pp.152)

登場人物たち誰もが著者の前ではふつうの紳士であるのに、ユダヤ人を相手にした際は悪魔のごとき行為を辞さなかった由です……。

本書の圧巻は「第5章 ベルリンの防空壕で」「第6章 たった今、総統が死んだ」。

ソ連軍が侵攻してくるなか、地下防空壕に逃れていたヒトラーほか多数の面々が、敗北を覚悟し、それでも一致団結して、団結したとはいえ疑心暗鬼にもなり、仲間の誕生日を祝い、結婚式をあげ、といった不安定で人間的な行動を示す様子が活写されていました。

ヨーロッパのかなり広範な地域を版図におさめた国の首相および高官らが身を潜め、脱出するか自決するか選択せざるを得ない状況だったのです。

ヒトラーは足を引きずるようにして将校たちのところへ行く。「諸君、何もかもおしまいです。私はこのベルリンに残り、ときが来ればピストルで自殺します。行きたい人は行ってよろしい。全員自由です」(pp.294)

結末が近づいてきます。

ヒトラーはムッソリーニの汚辱にまみれた死について聞いた。ミラノの広場のまん中に逆さ吊りにされた裸の死体の写真までも誰かが見せたのだと思う。(pp.311)

彼はこういう最期が怖かったのでしょう。

わたしは何だか日本の「西南の役(1877年)」を連想しました。

当初は大軍で東京へ進撃した西郷軍が、やがて敗走し、鹿児島市内の城山に籠城して戦ったあげく全滅したところが、そこはかとなく似かよっています。

いずれにしても、本書はあまりにも印象が深い濃密な内容で、読後感を語りだしたら自分をストップさせることが困難です。

第三帝国の無謀さ、戦争の悲惨さ、敗戦のみじめさ、ヒトラー総統の食生活、側近諸氏の人柄、エーファ・ブラウン(1912~1945)の魅力、等々について書きたい……。

この辺でコメントを終えますが、最後にもうひとつ述べさせていただくと、書中、わが国の話題がまったく登場しなかったのは物足りませんでした。

第2次世界大戦においてドイツ・日本は同盟をむすんでいたのに。

同盟国同士だったせいか、のちのち、折に触れ、両国民の類似性が指摘されます。

そして下記を読めば、たしかに日独には共通した部分がある模様でした。

出発時刻は21時30分と決められた。時刻どおりに全乗務員は位置についた。(pp.85)

列車がようやくミュンヘン中央駅のホームに乗り入れると、ゴトリとも言わずに、走っていたときと同じ滑らかさで停まった。(pp.94)

床はそこらじゅう人間が横たわっている。その間を縫って、救援の女性やら避難民やら少女、看護婦さん、総統官邸の職員たちが必要とされるところに手を貸そうと駆けずりまわっている。(pp.309)

金原俊輔

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