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『フォン・ノイマンの生涯』、ノーマン・マクレイ 著、ちくま学芸文庫、2021年。

ジョニー・フォン・ノイマン(1903~1957)は、ハンガリー生まれのユダヤ人。

第二次世界大戦の勃発前夜、アメリカ合衆国へ移り住み、以降、同国を中心に活躍しました。

数学者です。

ゲーム理論を提唱した人、コンピュータ開発を牽引した人、として知られています。

上掲書は、ノイマンがどれほど図抜けた天才であったか、いかに多くの偉業を成し遂げたか、彼の時代の世界情勢・学界動向はどんなふうであったか、を綴(つづ)った評伝でした。

もちろん主人公の性格や外見も折に触れ記されており、

名のある数学者はまずうぬぼれ屋なのに、ジョニーは不思議なほどそれがなかった。(pp.39)

ジョニーは、いつも相手を立てながら(後略)。(pp.40)

晩年のジョニーは、「ころころ肥えて愛想がよく、ちょっと聞き分けのないところがいかにも教授らしい」、「今にも笑みをこぼしそうな顔に丸っこい茶色の目が納まった」人だったという。(pp.18)

自信たっぷりで、記憶力は世界一、八桁と八桁のかけ算を暗算でしてのけたという話だが、(中略)そうとうな照れ屋だったらしい。(pp.19)

いつも陽気だった。(pp.178)

著者マクレイ氏(1923~2010)はジャーナリストで、イギリスにて日本が主題のルポルタージュ3冊を出版された、相当な知日家でもいらっしゃいます。

『フォン・ノイマンの生涯』書中、たびたび、わが国について言及なさいました。

現在形を駆使した軽快なテンポの文章をお書きになられ、数学の話には入り込みすぎず、おかげさまで、わたしのように数学音痴な愚輩でも難解さに押しつぶされないでページを繰ることができます。

一読の価値がある作品でした。

では、楽しめる作品だったかというと、個人的に、まったく楽しめなかったです。

理由を説明します。

わたしはノイマンがアメリカの原子爆弾製造に携わった研究者と認識してはいました。

むかし原爆・被爆に関する資料を集め勉強した結果、いつしか彼の名前をおぼえたのです。

そして、警戒しつつ『フォン・ノイマン~』を読み始めたところ、

ジョニーは、ロスアラモスの原爆開発では二つ貢献をした。(中略)
もうひとつが、爆縮型の爆弾(長崎に落としたプルトニウム爆弾)の設計を進めたことだ。(pp.320)

彼は、米軍が長崎市に投下した原爆「ファットマン」の、設計者だった……。

これで本書を楽しむ可能性は閉ざされました。

別に、わたしはノイマンだけが核兵器開発の責任を負うべき、とは考えていません。

彼が開発しなかった場合、他のだれかが代わって開発したはず。

本人はアメリカにたいする愛国心で研究・実用化を促進させた模様で、愛国心の尊さはわかりますし、おそらく仲間の研究者たちとて同様だったろうと推察します。

また、当時、もしもソビエト連邦やナチスドイツや大日本帝国などの国々が先に原爆を保有したら、高い確率で、交戦中だった敵国に用いたことでしょう。

それでも、やはり。

長崎市民にとって原爆設計者が無色透明な存在であるわけはないのです。

ノイマンは学問上「たちまち考えをはるか先まで(pp.11)」到達させる能力をしめしたうえ、

政治情勢の予見力もとびきりだ。(pp.255)

とのこと。

ならば、わたしの冷淡な感想をふくめ、自分が日本人に肯定的には受けとめてもらえない将来を予測できていたのでは……?

彼は「平均寿命に比べて短すぎる53年余(pp.536)」で世を去りました。

ジョニーは、放射能の怖さをあまり自覚していなかったらしい。1955年に51歳のジョニーを襲ったがんは、たぶん46年のビキニ環礁の核実験(クロスロード実験)に立ち会ったのが原因だ。(pp.315)

恐縮ながら(実は恐縮していないですが)同情心は起こりがたく。

本書「訳者あとがき」では、ノイマンの、

数えきれない成果のうち、訳者の手に余る先端数学の話題と、被爆国民として手放しの絶賛は捧げにくい原水爆開発を脇に置かせていただくと(後略)。(pp.536)

「脇に置かせていただく」のごとき軽い言葉づかいで済ませて良い問題ではありません。

金原俊輔